車椅子での乗降を支援 JDエスカルとラクープ

 香港の都心と空港を結ぶアクセス鉄道は新しいだけあって使い勝手が大変よい。日本から香港に降り立ち、入国審査を終えて「月台」(鉄道のホーム)の案内標識にしたがって進むと、1個所の段差さえなしにエアポートエクスプレスが待つホームに突き当たる。空港の到着ロビーと列車の出発ホームが同じフロアにあるのだ。列車の到着ホームと空港の出発ロビーも同様である。また、終点の香港駅から地下鉄の中環駅までは緩やかなスロープで結ばれている。(ただし、乗換え距離はかなり長い) これは大きな荷物を持った旅行者にはありがたい。もちろん、車椅子利用者にも使いやすい構造である。

 ひるがえってわが国の鉄道駅を見ると、橋上駅舎、高架、跨線橋など、垂直移動をしなければならない構造が多く、車椅子利用者・高齢者はいうにおよばず、若い人でも大きな荷物をもって移動する場合にははなはだ使いにくい。わざと段差を増やしているわけではないのだが、意識して見れば、いたるところに段差がある。こうした状況を是正するねらいもあって、2000年11月にいわゆる「交通バリアフリー法」が施行された。1日の利用者が5,000人以上、もしくは相当数の高齢者および身障者が見込まれる駅を対象に、エスカレーター・エレベーター・身障者トイレなどの設置が各事業者に義務付けられた。香港のエアポートエクスプレスの駅ほど徹底していなくとも、駅を利用するさいの負担がずいぶん軽減されることは明らかであろう。

 階段や段差を苦手としているのは車椅子である。交通バリアフリー法施行以前も、車椅子利用の乗客のためにはエレベーターを設置することが最善策であったが、事業者にとっては構造的にも問題が多いものである。車椅子ごと昇り降りでき、かつ費用があまりかからない装置が望まれた。

JR東日本「JDエスカル

 読者のみなさんは、車椅子を持ち上げて階段を昇った経験がおありだろうか。小柄な人であっても人が乗った車椅子は、大の男3人でかかってもあえいでしまうほどの重量になる。ましてや電動車椅子になると、利用者の体重を合わせて約130〜150kgになり、階段を昇降するのは至難の業である。1人あたりの重量を軽くしようと大勢で持ち上げようとしても、手を携えるスペースが小さくなり持ち上げにくくなる。さらに、介添人が階段を踏みはずしたり、腰を痛めることもありうる。ところで、こうした問題は車椅子ごと階段を昇降する装置があれば解決する。

 そうしたものの一つに、荷物運ぶときに使う手押し車にキャタピラーをつけたようなスタイルの、「チェアーメイト」と称する自走式昇降装置がある。平地走行時は通常の車輪が出て手動で、階段昇降時はキャタピラーの出番となり電動で進んでいく。車椅子が乗っている台は、油圧シリンダーによって常に水平に保つように工夫されている。最大積載量200kg、1〜2人の介添人でスムースに移動できるので、なかなか便利な品である。

 JR東日本ではチェアーメイトも導入していたが、「人にやさしい駅」をめざし、既設の階段をあまりいじることなく、取付け工事を簡素化できる車椅子用階段昇降機を製作した。「JDエスカル」と名づけられたこの装置は1992年度から開発を行ない、1993年11月に中央本線八王子駅から使い始めた。

 JDエスカルは卵をイメージさせるカゴが、壁面に取り付けられたガイドレールに沿って毎分6〜15mの速度で自走する。カゴはコンパクトにたためる着脱式の構造をしているため、使わないときは歩行者の流動を阻害せず、また保管スペースも小さくできる。しかし、最大積載荷重は180kg、床面積は85×120cmと、電動車椅子にも対応している。エスカルが取り付けられる階段の角度は水平から35度までで、角度が変わらない直線式階段でも、踊り場が設けられている階段でも問題なく作動する。さらに、カゴがないときはガイドレールが歩行者の手すりにもなる。

 最初のタイプは、上下方向の角度には対応していたが、水平方向には未対応であったため、隣のホームへ行く場合は階段の上で乗り換えなければならなかった。これを改良し、隣のホームまで連続して移動できる「JDエスカル2」(2はローマ数字)が1996年度に登場した。さらに数段程度の階段を昇降する「エスカルL」が、中央本線中野駅だけであるが設置されている。また、エスカルは他社への販売実績もある。

 実際にエスカルを使用するときは、駅員がカゴのそばにあるコントローラーを操作しながら一緒に階段を昇降する。車椅子の介添人はコントローラーを操作しない。エスカルを運転中は階段の幅約1m占有するうえ、移動時は「ピッ、ピッ」と、トラックがバック運転するときのような大きな警報音を発するのでかなり目立つ。また、1人乗り用であるため、複数の車椅子利用者が集中すると順番待ちが生じ、また、操作する駅員は階段の昇降を繰り返すことになり、なかなか大変だ。

 やはり、最善の方策はエスカレーター・エレベーターを設置することで、JR東日本は2010年までに交通バリアフリー法対象駅390駅のすべてのホームにエレベーターを整備することを目標とする、と発表した。このうち2005年度までに、利用人員の多い駅を対象として190駅にエレベーター、240駅にエスカレーターを整備する。ちょっと古いデータだが、1999年度末現在、JR東日本管内におけるエレベーター・エスカレーターの設置駅数は、エレベーターが新幹線30駅、在来線87駅、エスカレーターが新幹線31駅、在来線213駅である。エスカルからエレベーター・エスカレーターに代わってきたのも、時代の要請である。

 ちなみに、エスカレーターで車椅子を運ぶ方法は、ステップ3段分を水平にして、介添人とともに昇降する。そのさいは車椅子移動中ということで入口を封鎖して、健常者の利用は遠慮してもらっている。

京急ファインテック「ラクープ」

 さて、車椅子での階段昇降を克服する道筋は見えてきた。しかし、今度はホームと車両の隙間、および段差が障害になる。これを解決する装置が、京急グループの京急ファインテックが開発した車椅子乗降装置「ラクープ」である。1999年8月に営団地下鉄と京浜急行電鉄の共同提案から生まれたもので、手始めとして2000年2月に京急の羽田空港駅と上大岡駅に設置された。

 車椅子利用者にとっては2cmの隙間・段差があると、もうお手上げという。足元の小さな前輪がひっかかるためだ。京急羽田空港駅のホームと車両の隙間・段差はそれぞれ約10cmあった。車両からステップが出れば解決するように思われるが、ホーム面に密着させるのはむずかしく、また、全車両の全ドアにステップを取り付けることはコスト的に無理だ。車椅子の人が乗降するときだけ渡り板を車両とホームの間にかけるという手段もあるが、そのたびに付けたりはずしたりしては手間がかかるだけでなく、列車の遅延につながりかねない。さらに京急線には自社車両だけでなく、都営・京成・北総・公団の車両が乗り入れてくる。これらの車両は車両限界が微妙に異なり、事態はさらに複雑になる。

 さて、ラクープは、ホームに埋め込まれたステンレス製のスロープの先端が、空気圧によってホーム中央側を支点に上昇して車両出入口との段差を解消する装置である。同時にスロープから渡り板がせり出して車両との隙間も埋める。しかも、操作はいたって簡単、リモコンのボタンを押すだけで飛び出したり引っ込んだりする仕掛けだ。そのスピードは0.5秒もかかっていないだろう。ただし、傾斜したまま戻らなくなる故障の場合のみ、キーをスロープにねじ込み、手動でホームに戻す。また、雨によるトラブルを回避するため電気部品はいっさい表に出ていない。スロープ板のサイズは70×30×5cm、これを車両ドアの寸法に合うよう数枚組み、2枚ごとに60cmの緑のパネルをかけてホームに埋め込む。ラクープ収納時はホームのほかの場所と全く同じ高さになり、パネルのおかげで収納時の見た目はすっきりしている。

 70×30×5cmというサイズは、鉄道各社がホームに採用しているタイルの大きさに準じている。タイル1枚をはがすだけ、わずか2日間の小規模工事で取り付けられるというのがミソである。設置工事のとき、深く掘ってしまうとそれだけ工期が長引き工費がかさんでしまう。たとえ、機構的に優れていてもコストがかかるものは売れない。

 パネルの枚数、設置位置などは導入する鉄道会社の方針によるが、京急では6枚のスロープ板に3枚のパネルをかけたものをホーム両端に設置している。ホーム中ほどに設置していないのは、車椅子の乗客は車掌室にいちばん近いドアから乗車してもらうという、京急の決まりのためである。京急車両のドア口の長さ120cmよりスロープの幅が長いのは、列車によって停車位置がずれる場合も考慮しての遊びの部分が含まれているのだ。乗せるときは1人の駅員が付き添い、ラクープを上げて乗車の手助けをする。「ラクラクスロープ」をもじったネーミングどおり、女性駅員でも楽に手助けができるのは言うまでもない。

 評判のほうは上々で、便利になったとの利用者からの声が駅に寄せられているそうだ。グループの京急にどんどん増えているのはもちろんのこと、今年6月、相模鉄道横浜駅に6基納入された。また、8月には小田急電鉄新宿駅と伊予鉄道松山市駅に、さらに沖縄都市モノレールも全駅に設置する予定である。

結果として鉄道のステータスが上がる

 鉄道は日々、不特定多数の人が利用する交通機関である。誰でも快適に利用してもらうため、さまざまなところに改良が加えられているが、JDエスカルにしても、ラクープにしても、健常者と障害者を分けへだてしない「人にやさしい鉄道」をめざして考えられたものである。

 1980年代後半から90年代前半にかけて、「トレンディドラマ」と呼ばれたテレビドラマの舞台になった町が人気になり、ひいてはそこを走る路線に注目が集まった。しかし、これからは虚像を廃し、誰もが快適に利用できる駅にしていくことによって、その駅がある路線と鉄道会社のイメージが高まる時代になった。

 この駅は使いやすいな、この駅なら毎日使っても大丈夫だな、この設備がある鉄道なら乗っても安心できそうだ、この鉄道のある町に住んでみたいな―と、思ってもらえる鉄道づくりが求められている。

 駅を使いやすくすることで、沿線の町と鉄道会社のステータスを上げてゆき、沿線の住人を増やし、あわせて輸送人員の増加を図るという意図がこうした施策に含まれているのだ。

(2001年9月号)


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:35 JST