O-bento †駅弁は1885年(明18)7月、宇都宮駅で発売されたおにぎりが最初といわれる。以来110年以上にわたり列車の旅には欠かせない味覚となってきた。しかし、駅弁を供する最大手会社‐日本食堂(当時)の発売数は万博が開催された1970年の1日25万食をピークに、以後は減少を始めている。その原因は、市中の外食産業の発達にあり、業界ランキングトップの座もコンビニエンスストアやファストフード店、ファミリーレストランなどに譲った。JRの発足以後、日本食堂も地域ごとに分割され、それぞれに社名を変えたが、グループ全体での販売数は1970年当時の約半分となっている。 コンビニ弁当が250円、ハンバーガーが65円で売られる価格破壊の時代に、おおむね1,000円程度の駅弁は、競争に不利である。全体としては中小の弁当屋が多いため手づくり中心で、近代設備や大量仕入れによるコストダウンが至難であり、駅や車中という比較的恵まれた環境の中で商売できたゆえの甘えも否めない。また、列車の発着にあわせた待ったなしでの販売となるため、多めに作っておく必要があること―など、理由はあった。そして列車が速くなった結果、目的地に到着してから食べようという意識や傾向が強まったことが、駅弁の地位を下げた最大の原因である。 そのような状況下で、JR東日本エリアを地盤とするもと日本食堂系の日本レストランエンタプライズ(NRE)が、新たな価値をもたせる路線として選択したのが、自然食材を徹底的に使用することだった。 日本が主食とするコメや、魚介類や野菜中心の食生活は、肉とパンの生活より健康的で長寿の源という特徴があり、欧米でブームを呼んでいる。それならば、その健康志向を追求し、成長ホルモンを使って工場生産のような方法で大量生産される食材を使い保存も効かせて安価とする他社の路線とは全く異なる方法を選択した。ここで問題になったのが、自然食材の安定確保である。残念ながら国内産の有機米だけでは、東京尾久の調理センターで新商品に必要となる年間300トンのうち20トンしか確保できないのが実情だった。 そこで、遺伝子組替え商品がある一方で、有機食材の生産でも先進国であるアメリカから輸入することとなった。その商品の一つは、現地で一貫生産し冷凍して輸入する「O-bento」で、これは価格を思い切って600円に引き下げた。 幸福弁当 †一方、国内の有機認証を受けたあきたこまちを使った商品も並行して発売を開始。こちらは値段がやや高くなっているが、日本の自然食材のもつ味にこだわりを見せた。農家と提携してコメ以外も、野菜は少なくとも減農薬のもの、鶏肉は自然飼料で育てたものを使い、そうした商品の一つである「幸福弁当」はパッケージも竹篭で、なつかしい雰囲気をもたせている。 コンビニ弁当などのラベルを見れば合成保存料や着色料の使用が記されているが、基本的に駅弁はそれらの使用が少ない。それだけ日持ちはせず彩りも地味だが、本来の食品としては、それこそが売りとなる。NREでは、その自然素材の使用をより一層進めて、調理ラインではNASAの科学的手法を導入した衛生管理を行ない、業界で初めて製造時間を分まで特定する特段の規定を用い、新たな価値として売り出した。専門医師の協力を仰いでカロリーを抑えた商品も開発した。一方では和・洋・中華のシェフによるコース駅弁もラインナップされた。現代の駅弁は、食べもの本来の姿や、食べる楽しさに価値を見つけている。 (2001年9月号)
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