アーバンネットワーク

 JR西日本は、今回(2002年)3月23日のダイヤ改正で学研都市線(片町線)の輸送力増強を行なう。従来の同線は松井山手までが複線で7両編成運転、一方、松井山手〜木津間は単線で編成も4両となるため、双方を直通する快速列車は松井山手で分割併合を行なっていた。今回は、京田辺市の中心に位置する京田辺駅に折返し設備、大住駅には行き違い設備を新設して線路容量を増強、松井山手折返し列車の一部を京田辺まで延伸するとともに、分割併合駅を京田辺に変更して、同駅から都心側への速達化を図るものである。これにより学研都市線は、ますますアーバンネットワークとしての充実度を深めてゆくこととなった。

 ところで、JR西日本が積極的にPRしている「アーバンネットワーク」という言葉は京阪神都市近郊区間を示すものとして、会社発足から2年後の1989年に誕生した。

 国鉄時代の京阪神地区一帯は「私鉄王国」の異名をとるほど私鉄各社の輸送シェアが大きく、対する国鉄はキメこまかさを欠く輸送形態や古い車両、高い運賃などから、相対的に少ない輸送量しかシェアできていなかった。しかし、JR西日本として発足すると、都市圏を最大の経営基盤として磐石にする必要が生じ、発足直後から最大限の施策を打ちはじめた。

 この一環として、1988年にまず各路線に線区愛称を付して、地元への密着を打ち出した。つまり、従来の東海道本線・山陽本線・福知山線…といった長距離路線の名称ではなく、JR京都線・JR神戸線・JR宝塚線…といった具合である。率直に言えば古いイメージだった片町線にも、関西文化学術研究都市にちなむ「学研都市線」という新愛称が与えられた。そして翌1989年3月、JR西日本は他のJR各社が特急列車からイメージリーダーカーを投入していった中で、京阪神間新快速に221系近郊形電車を投入し、沿線の耳目を大いに集めた。その後は通勤形の207系やさらに新しい近郊形の223系を投入、駅改善、運行形態の多様化、速達化などあらゆる策を打って、私鉄との形勢を逆転するほどの成長を見せる。

 「アーバンネットワーク」の言葉が生まれたのは、その1989年3月であり、外に向けたアピールとともに、部内組織でも「アーバン輸送担当」と称するなど、業務的にも定着した言葉として使われている。

 アーバンネットワークの範囲は、明確な定義に基づいて定められているものではないが、都市型電車による高頻度運転区間をさすものと考えてよい。その意味で、1989年3月の片町線長尾〜木津間電化(事実上、学研都市線の区間延伸)、1990年3月の嵯峨野線(山陰本線)園部電化、1991年3月の奈良線快速新設、同年9月の北陸本線長浜まで直流化による新快速直通、1994年6月の関西空港線開業、1997年3月のJR東西線開業とJR宝塚線新三田〜篠山口間複線化などのプロジェクトにより、エリアも着実に拡大してきている。城東貨物線を旅客線化して大和路線(関西本線)久宝寺と新大阪とを結ぶ大阪外環状線の整備も始まっており、このうち久宝寺と学研都市線放出間の南側区間が2005年度に開業すると、奈良方面から外環状線・JR東西線経由で神戸方面とのスルー運転も可能になり、ますます多彩になりそうな気配である。

(2002年5月号)


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:38 JST