エル特急 †「エル特急」の言葉が生まれたのは1972年(昭47)の秋で、同じ愛称・系統で本数の多い特急列車群に対し、便利さを強調する意味で愛称として名付けられた。当時は岡山まで開業していた山陽新幹線と接続をとって山陽・九州方面に運転された特急「つばめ」「はと」「しおじ」をひとまとめに、そのほかでは運転本数が多い上野ー仙台間の「ひばり」、上野〜新潟間の「とき」、上野〜長野・直江津間の「あさま」と、常磐線「ひたち」、そして房総特急「さざなみ」「わかしお」がエル特急の第一期生である。 次から次へと発車する特急、そして自由席がついていて予約なしで気軽に利用できることがセールスポイントで、キャッチフレーズは「数自慢、かっきり発車、自由席」というものであった。本数が多いだけでなく、始発駅を毎時○分というように覚えやすいダイヤがつくられ、1時間ごとに同じパターンで運転されることにもなった。その時代から話題になることが多かった。 「エル」の語源は、とくにこれというものはない。国鉄は、liner、lovelyやlightなど、親近感や気軽さに通じる言葉に共通の頭文字Lをとったもので、語感とイメージによると説明した。 今日の特急列車は主要な線区では30分間隔程度の本数に増えており、原則として自由席もついている。その意味では、ほとんどの特急列車が「エル特急」に該当するが、そうなると、特急列車にわざわざ「エル特急」を冠する意味も薄れてくる。 かつては主要幹線の象徴的な存在で、まさに「特別急行列車」であった特急が、都市間輸送の主力として系統や本数を増やし、急行列車をも呑み込んでいったのは1970年代の国鉄幹線輸送の特徴であるが、もとは東海道新幹線において「ひかり」「こだま」を列車群としてパターンダイヤで運転したことが始まりで、古い輸送形態であった特定の列車に特定の使命を持たせるサービスから、列車群方式による定型的なサービスへの建て直しを意味した。在来線では1968年(昭43)10月、1972年3月・10月のダイヤ改正を経て主要幹線の特急列車について基本的な運転パターンができあがった。「エル特急」は、そのような時期に生まれたことになる。 最初の段階では、特急「あずさ」「しなの」や北陸の「雷鳥」「しらさぎ」などは除外され、九州では山陽線からの直通列車が大半を占めたので、「有明」「にちりん」なども対象とはなっていない。しかし、これらの列車も順次、エル特急に指定されるなど全国に波及し、とくに電化された主要路線は一部の例外を除き総じてエル特急となり、地方の気動車特急など特殊な列車や運転本数も限られるものが「特急」といった様相になる。 JRでは、「エル特急」の名も国鉄から引き継いだが、もはや特別の意味を見出しにくい状況となっているので、最近の取扱いは各社まちまちといったところ。JR北海道では電車特急がエル特急、気動車特急は「特急」であり、本数から考えてもかなり明確だ。JR東海・四国・九州も、運転本数の多寡を使い分けの基準としている。 エリアの広いJR東日本ではいささか混乱しており、「いなほ」は現在もエル特急だが、「はつかり」は2000年3月改正で「エル」をはずした。「ビューわかしお」は「わかしお」の一員でエル特急なのはわかるが、「スーパーひたち」がエル特急である一方、「フレッシュひたち」はそうでなく、いささか煩雑だ。「あずさ」「スーパーあずさ」「かいじ」は現在はエル特急であるが、新型車両が入ると様子が変わるかもしれない。 JR西日本の北陸特急は、国鉄から引き継いだ列車がおおむねエル特急で、JR発足後の新しい列車は特急ということのようだ。 言葉が生まれてから約30年。もともとPR用の感覚的なネーミングで、もはや実際にはほとんど有効には使われておらず利用者には紛らわしいのだが、いざやめるとなるとタイミングがむずかしいようだ。 (2001年6月号) |