デスティネーションキャンペーン

 デスティネーションキャンペーンは、JR旅客6社と地方自治体や地元観光団体が一体となり、一定期間集中して、一つの県やエリアの旅行宣伝をするものである。現在、4月1日から6月30日までの間で青森・秋田・岩手県を対象とする「北東北デスティネーションキャンペーン」が行なわれており、次回は7月から鳥取・島根県の山陰地区を対象として行なわれる。

 このキャンペーンは、これがスタートする前の「ディスカバージャパン」キャンペーンが大きな契機となっている。ディスカバージャパンは、大阪千里丘陵で日本万国博覧会が開催された1970年(昭45)、空前の人出となったその万博の終了後に、いかに旅行需要の沈滞を防ぐかを命題にして国鉄が仕掛けた、日本初の本格的かつ大規模な旅行キャンペーンである。これに反応して新しい女性誌が恒常的に観光情報を掲載していったことから、若い女性に大観光ブームが巻き起こることとなった。

 しかし、年月とともにディスカバージャパンの効果は減退し、1977年の「1枚のきっぷから」を経て、翌1978年には「いい日旅立ち」がスタートする。ただし、すでに加速度的にマイカーが普及し、航空機や海外旅行も当然となっていた。このため、もはや国鉄が旅行客を独占することは不可能で、同時に目的地での対応の充実が求められることとなり、そうしたきめ細かさのためには目的地(destination)を絞って具体的に売り出す必要に迫られた。

 つまり、その特定の期間、各種イベントの開催や割引などを仕掛けて価額以上に観光客に楽しんでもらうとともに、迎える地元側においては、これを契機に観光資源を見つめ直したり、再整備したりすることが求められたのである。この二つは、現在もデスティネーションキャンペーンの大きな柱となっている。

 こうして最初に展開されたのが、1978年11月から1979年3月まで、和歌山県を対象にした「きらめく紀州路キャンペーン」である。第2回に三重県を対象に「美しくに伊勢・志摩」が続いている。

 国鉄が興したデスティネーションキャンペーンは、現在はJRが引き継いでいる。対象エリアは、おおむね2年程度前に自治体の立候補を受け付け、バッティングした場合はJRグループ旅客6社の協議によって絞り込むことになっている。3ヵ月スパンで年4ヵ所が最大となるため、選外となることもあるが、その場合は独自にキャンペーンを展開することもあり得る。また、JRグループが主体であるから、新線や電化の開業や新しい列車体系のスタートなど、鉄道関連のエポックにかかわる場合も多い。一方、発地としての位置付けから東京周辺がキャンペーン対象になったことはなく、北海道なども訪問手段の中心が航空機であるため、近年まで対象にならなかった。

 1年半前ぐらいの時期に開催エリアが決定すると、受入れ地側では準備を始め、観光行政が主体となって賛同者や施設を増やし、調整してゆく。1年前には自治体側の主催により全国宣伝販売促進会議が開かれる。ここではJR・自治体に旅行会社なども加わって、さまざまな地元情報のプレゼンテーションが行なわれ、これを機に、旅行会社は旅行商品の造成にかかり、鉄道も企画きっぷや臨時列車運転計画などを具体的に煮詰めてゆく。そうして半年前には全体計画がほぼ固まり、PR開始に向けて、最終的な準備が行なわれてゆくのである。

 1978年にスタートしたデスティネーションキャンペーンは、現在の「北東北」で90回を数えている。

(2003年8月号)

 


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:43 JST