異常時を疑似体験 ハイテクシミュレータ

 「乗り物を愛する人々」というカテゴリーで、自動車ファンとレールファンをまとめる人がいるが、愛好する対象を所有できるか否かの一点で、ずいぶん異なる。乗用車なら販売ルートが完備され、手に入れることはそうむずかしいことではない。それに運転する場所もある。しかし、鉄道車両は、部品なら廃車発生品放出会などで購入できるが、車両そのものを手に入れることはかなりむずかしい。ましてや実車を自由に運転できる場所など、どこにあろう。自分のものにできないというジレンマを抱えながら、高まる運転熱の放出場所としてであろうか、以前から交通博物館などに置かれている運転シミュレーターにファンが群がる。現在では、運転シミュレーションゲームが家庭に入り込んでいる。

 こうした運転シミュレーターは本職の運転士も訓練に使っている。JR東日本は各支社に現場社員を教育訓練する総合訓練センターを設け、それぞれにシミュレーターを配置しているが、博物館のもの、あるいはゲーム機とは明らかに役割が異なっている。鉄道会社のシミュレーターは運転技術を磨くためのものではないのだ。シミュレーターでなければできない、バーチャルな体験をさせることがメインとなる。例えば、信号機が何本も並んでいる駅に停車中という設定で、あえて隣の信号機に緑を現示させて、信号を見誤りやすい状況を体験してもらうこと― などである。運転技術のためなら最初から実車で訓練すればよいからだ。そのためか国鉄時代はシミュレーターは労働科学研究所にしかなかった。いや、総合訓練センターそのものがなかった。同じ理由で、JR東日本のシミュレーターは電車タイプのみで、気動車や機関車はない。

事故を教訓としてシミュレーターを導入

 このように誤りやすいパターンをバーチャルであるが経験させることが鉄道会社のシミュレーターの主目的である。JR東日本が導入したきっかけは、1988年12月5日、JR中央本線東中野駅に停車中の緩行線列車に後続列車が追突した事故。この事故を教訓として1989年、大宮運転区構内に総合訓練センターを開設し、翌年、乗務員関係の教育訓練を行なうため運転シミュレーターを導入した。しかし、このころのシミュレーターは、実写をレーザーディスクに録画し、異常時の処置の訓練に使用するものであった。また、車掌用はなかった。しかし、1997年10月12日に中央本線大月駅構内で起きた、E351系に隣の線路から出発した201系が衝突・脱線するという事故を契機にして、現在使用中のコンピューターグラフィックス(CG)画面のシミュレーターが開発され、「異常時の処置の訓練」から「事故を未然に防ぐ訓練」へと発展させると同時に、車掌も訓練できるよう、実車と同じように運転室と車掌室を設けた。

 新シミュレーターの開発プロジェクト立ち上げは1999年の初めで、第一号は2000年4月1日に八王子支社に納入された。以降、各支社に配置され、今年2月の仙台支社を最後に全支社に新型シミュレーターが行きわたった。シミュレーターには、過去の事例を研究し、乗務員が陥りやすい状況を、メインシナリオとサブシナリオに分けてあらかじめプログラムされている。その数はメインシナリオが運転士7本、車掌3本、サブシナリオが運転士61本、車掌39本、そして異常時処置型シナリオ39本の計147本。シナリオの内容の一例をあげると、出発信号機冒進による列車衝突、閉塞指示の運転取扱い誤り、信号機故障、防護無線受信、駆け込み乗車、旅客が列車にぶつかるなど― 絶対あってはならない衝突が加えられているのは、大月事故の反省からである。シナリオの組合せによって、以前のシミュレーターとは比較にならないほど多様なパターンが生み出される。運転条件も、晴れ・曇り・雨・雪、あるいは朝・昼・夜などと変えることができる。

1台3億円のシミュレーターで模擬訓練

 シミュレーターは基本的に各支社1台ずつの配置だが、大宮総合訓練センターは東京支社と今年4月1日に発足した大宮支社が使用し、さらに東京支社は乗務員の数が多く2台割り当てられている関係で、都合3台ある。1台3億円もするそうだ。筐体の側面は209系京浜東北線電車を意識して作成されたそうだが、両端はCGを映す関係で完全にフタをされている。実物の209系よりちょっと小ぶりで、サイズは高さ3,217mm、幅2,950mm、長さ11,750mm。大きさを別にすると、市中のゲームセンターにあっても違和感がないスタイルである。

 操作機器は実車に即して作られ、マスコンは2本あり、ワンハンドル・ツーハンドルどちらにでも対応できる。運転室展望風景は70インチ×2面のスクリーンに映し出される。そして、このシミュレーターのすごいところは動揺装置が組み込まれていることで、レールの継目を渡る振動や、カーブ通過時、停車・発車時に感じる重力移動までが再現されている。性能は最大加速度0.3G以上、前後に各100mm、左右に各50mmの幅で、実際に乗り込んで、ワイド画面に流れる前方風景を見ていると、効果音と相まって、つい本物に乗っているものと勘違いしてしまう。

 車掌室内の想定では、スクリーンは列車後方の景色が後ろへ流れ去っていく。筐体の脇には車掌用スクリーンがあり、窓から顔を出すとホームが延びているように見える。これで車掌は列車停車位置の確認や駆込み乗車など乗客の状態を確認する。

 筐体から少し離れた講師室で147本のシナリオを組み合わせてシチュエーションを作り、いかにして事故を回避するか、また、事故が起きた場合のすばやい対応などについて訓練を行なう。講師は、講師室にあるモニター5台で訓練中の運転士・車掌の状況、シミュレーション画面を確認、指示を与える。

 現役の運転士にシミュレーターを操作した感想を問うと、ブレーキ時の体感が実車とは少し違うそうだ。しかし、運転技術向上ではなく、事故防止に焦点がある装置なので、このあたりは仕方がない面もある。

博物館のシミュレーターは?

 交通博物館にあるシミュレーターのうち、最近納入された209系・211系はJR東日本で使用していたものであるが、205系は1987年に作られた交通博物館オリジナルである。

 このほか、レールファンが気軽に楽しめるシミュレーターは東京の東武博物館、神奈川の東急電車とバスの博物館などにあるので、一度訪ねてみてはいかがだろうか。

(2001年8月号)


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:44 JST