ヘッドマーク †国鉄〜JRでは、特急列車の先頭には愛称名を掲示してきた。最近は車両そのものの個性が特定の列車と結びつくケースも多く、表示のないものが増えているが、先頭の愛称名表示は識別のうえで役立つとともに、列車をシンボライズするものとしての効果が大いに期待されているようである。その代表例は、機関車列車を中心に取り付けられるヘッドマークである。 国鉄時代には「鉄道掲示基準規程」が表示方法を定めていた。列車に列車名称を表示したものを「列車名標」といい、一般にはトレインマークなどと呼ばれている。列車名標は表示場所や表示方法から、3種類に分類された。第1種は列車の前後正面に掲出するものだが、車体そのものには大仕掛けとなる特段の設備がなく、着脱が可能な調度用品として扱われた。 第2種は、特急電車の登場とともに誕生したもので、前後正面の車体構造の一部に掲示装置を設け、着脱式のアクリル板や巻取り式字幕を用いて設備された。ちなみに第3種は、列車前後ではなく、車体側面に表示するサボ(サイドボードから生まれた単語)や巻取り式字幕である。 さて、第1種のトレインマークは機関車牽引の客車列車から発祥し、最初は客車最後部のテールマークから始まった。第一次世界大戦後の不況で旅客が落ち込んでいた1929年(昭4)9月、旅客誘致を目的に日本でたった2往復の特急に初めて「富士」と「櫻」の愛称名を決定した。これにちなんで取り付けたのである。ただしマークの図面が制定されたのは10月21日と記録され、実際にマークが登場した日はさだかでない。翌年には「燕」と「鴎」も誕生している。 特急列車は第二次世界大戦ですべて消滅するが、戦後1949年(昭24)9月に「へいわ」が復活、やはり客車最後部にマークが取り付けられた。「へいわ」は翌年1月に「つばめ」に改称され、同年5月に「はと」も運転を開始、両特急は展望車に照明入りのマークを掲げて夜目も美しく飾った。 これらテールマークの取付けと図柄は国鉄が正式に制定したものであったが、じつはヘッドマークはそうではなかった。戦後の「つばめ」「はと」運転開始にともない、大阪鉄道管理局の独自の施策として、C62形蒸気機関車に付けたのが最初とされる。 これを契機に国鉄は特急にヘッドマークを取り付けるが、電車や気動車の隆盛により客車特急は寝台のみとなる。当時、電車列車等の第2種のものは文字だけであったから、印象的な図柄が配されていた機関車取付け用のヘッドマークは、ひときわシンボル性が高かった。なお、一部の急行にも取付けの例が見られるが、そのいっさいは各鉄道管理局長の判断という。 その後、寝台特急は山陽新幹線全通直前の1974年に本数のピークとなるが、このころは国鉄合理化とそれによる労使対立で新設列車用のマークは作られず、既存列車も東京機関区が堅持した九州・山陽・山陰方面の列車以外は外されてしまった。 しかし、戦前と同じく利用低落に歯止めをかける一施策として、1978年に電車特急の字幕式マークに絵柄を入れた。機関車へのマーク取付けはこれを前提に1984年2月、門司機関区が九州内の寝台特急全列車の牽引機に復活させた。電車から客車に転じた列車や、併結運転にともなう「あかつき・明星」併記の新しい図柄も登場して話題となり、寝台特急のヘッドマークはその翌年の3月、全国で復活したのである。 ただし最近は、寝台特急の重みも忘れられたのか、一部でまたヘッドマークをつけない姿を目にするようになっている。 (2003年10月号)
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