ボンネット特急

 高運転台の前方にボリューム感たっぷりの胸を張り出したボンネットスタイルは、国鉄特急電車の誕生以来、そのシンボリックな姿となってきた。現状は、JR西日本の北陸方面特急のみで活躍しているが、本年(2003年)9月20日に京都総合運転所配置の車両(485系)により「懐かしの雷鳥」として臨時運転され、これが特急列車としての最後となる。あとは金沢総合車両所の489系のみとなり、こちらはひとまず上野〜金沢間の夜行急行「能登」として運転が続けられている。

 ボンネットスタイルは、1958年(昭33)秋に東京〜大阪間で運転開始した国鉄初の電車特急「こだま」用に誕生した151系(当初は20系)先頭車として生まれた。優雅な曲線のボンネットの両脇にライトを強調して配する造形は、新しい特急電車の象徴として十分に個性的で、「こだま形」とも呼ばれるようになった。しかし、このスタイリングは、たんにデザイン上の理由だけから誕生したわけではない。

 これ以前、特急に限らず国鉄の長距離列車は客車列車であった。戦後の復興と輸送力増強の要請で、幹線輸送の高速化と効率化に向けて電車の活用が考えられ、当時は「新性能電車」と呼ばれた101系電車が開発された。従来の電車は騒音・振動に難のあった釣掛モーターが主流であり、ブレーキ用の空気圧縮機や車内設備用の電動発電機も自車で備えていたから、電車を長距離列車に使用するには問題があった。

 101系電車は小型で高速回転型のモーターを採用して、カルダン駆動方式を採用し、性能の改善とともに騒音・振動に対しても効果を上げた。特急電車の開発にあたっては、これを基本に、さらに空気ばね台車や浮床構造の採用などで乗り心地を高めた。そして、冷房装置を含め車内のサービス機器用の電源となる電動発電機なども、集約して客室から遠去けることが考えられた。東海道線用として設計された特急電車では、長い編成を利用して大容量の装置を編成前後にまとめる手法がとられ、それを収納する場所がボンネットになったのである。

 ボンネットスタイルの特急電車は、上越特急用161系、改良型の181系、さらに交直両用の481系を経てスタンダードとなった485系、および信越線用の装備をもつ489系まで製造が続けられている。なお、151系に比べて交直両用の481系以降は床が高いことから、同じボンネットでも形状が微妙に異なっており、運転台窓回りの肩の部分の処理などに顕著に現われている。また、151系は運転台屋根上の両脇に標識灯を取り付けていたが、これは以後の車種では省略され、中央特急用の181系では狭小トンネル対策として屋根上の前照灯も備えていないので印象はだいぶ違っていた。

 ボンネットスタイルの先頭車が最後に新造されたのは1972年(昭47)で、以後は前面貫通構造の直線的なスタイルに移行した。

 ボンネットを脱却した背景には、空気圧縮機や電動発電機の小型化・低騒音化が図られ、床下への装備に問題がなくなったことがある。すでに特急が一般化して久しくできる限り効率的な車両とするうえでは、一定の客室スペースぶんを犠牲にしなければならないボンネットスタイルは不都合となる。また、前面貫通型の登場は、地方線区への進出にともない分割併合や増解結を考慮したものといえ、長大な固定編成という概念が揺らぎ始めた証拠でもあった。

 なお、ボンネットスタイルは電車特急に続いてキハ81形特急気動車でも採用されたが、前面貫通型のキハ82形に移行したので、6両にとどまった。

(2003年11月号)

 


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:48 JST