屋外広告物条例と ラッピング広告電車 †2001年12月1日、JR東日本山手線に、年末に丸の内から有楽町にかけての街路をイルミネーションで飾る「東京ミレナリオ」の広告とその協賛企業名を描いたステッカー貼りの電車が走り始めた。一方、臨海副都心をゆく「ゆりかもめ」には、11月29日から車体の屋根にまで広告を入れた列車が走り始めている。 1年前の2000年9月18日には都営地下鉄大江戸線で車体全体を広告のラッピングフィルムで包んだ列車が登場しており、さらにさかのぼって同年4〜5月に都営バス、そして都電荒川線にラッピング広告で装った電車が登場して、これが最初に大いに話題となった。同じ時期、東京・世田谷区内を走る東急世田谷線でも、車両の置換えにあわせて、同年春から編成ごとに異なる色彩・デザインのカラフルな広告車両の運転を開始している。つまり、2000年4月を境にして、東京で広告バスや電車が急速に目立ってきたのである。 この大きな変化の背景には、たんに1社が広告電車を走らせたのをきっかけに、他社が倣った―というだけではない事実がある。一般にはあまり知られていないが、車体の広告は「東京都屋外広告物条例」で規制されている。これが矢継ぎ早に改正され規制が緩和されたのである。 この都条例は、屋外広告の表示方法に一定の枠を設けるもので、1949年に制定された。「美観風致の維持」と「公衆に対する危害の防止」が、その目的である。前者は、野放図な図柄や色彩の氾濫を防止するものであり、後者は、看板の落下など直接的な要素だけではなく、交通信号の視認性を妨げる形状や色彩の規制などの意味が含まれている。また、注目度が高すぎたり、長文を読む必要があったりすると、本来、注意を払わなくてはないない対象から意識が離れてしまうため、そういった要素も危害防止の範囲に含まれてくる。 電車やバス等の交通機関については、都内に車庫をもつ事業者が対象とされ、1955年に路線バスと路面電車を除くすべての交通機関は所有者以外の広告が原則禁止に、1967年には車体広告の規制が全面改定されて、路線バスと路面電車の広告も、掲示場所や大きさが規定され、1台あたり2.7平方mまでとされていた。このため、東京都内を運行する鉄道では広告電車などは見られず、バスや都電も側面の看板程度だった。 こうした状況が一転したのは、深刻な赤字経営を続ける都バスについて、石原慎太郎都知事が就任まもない1999年7月、「動く広告塔として収入を得てはどうか」と発言したことによる。従来、条例の対象が都内に車庫をもつ事業者とされ他県から乗り入れてくるバスが対象になっていなかったことも、広告収入を得たい事業者の不公平感を募らせることとなっていた。 都知事の発言をきっかけに諮問された都広告物審議会が2000年2月に「車体広告の大きさの規制を緩和すべき」との答申を出し、同年4月、条例の施行規則が改正された。従来、バスや路面電車の広告は2.7平方mが上限だったがこれが一気に30平方mおよび車体面積の3/10までとなった。標準的なバスの車体面積は約100平方mで、小さな車両であれば総面積の3/10まで、総面積100平方m以上の大きな車両であれば30平方mまでとされたのである。ここに示される車体面積とは、床下を除く5面体の部分をいう。 これによりラッピングバスが走り始めたが、訴求効果は抜群と判断され、当初は年間5億円と見込んでいた広告収入が実際には6億3,500万円という好結果となった。東京都は都電でも実施し、9月には地下鉄大江戸線でも全面広告電車が走り始めた。 一方、同時期に山梨県の観光キャンペーンで車体にブドウを描いた中央本線のイベント電車が、当初、三鷹の車両基地に乗り入れられず、広告審議会で特例扱いの議決を得て、やっと回送できたという顛末も話題になった。この時点では、路面電車以外の鉄道車両の広告は規制されていた。大江戸線は、全線地下のため「屋外広告物」にあたらないとされたためである。 しかし、鉄道には認めないという方針も当然の流れとして緩和されることになり、2001年2月、これらに対する規制緩和の方針が打ち出され、10月の改正の施行規則再改正につながってゆく。 普通の鉄道車両では第三者の広告を乗せる場合は車体面積の1/10まで、非営利目的の広告あるいは鉄道会社が自社のイベント等に利用する場合は、デザイン的に良好なものが予想されるとの判断で3/10までの利用が認められた。同時に、バスや路面電車では30平方mの制限が取り外され、3/10までという制限に一本化されている。 ただし、東京都では車体広告共通の規制として、窓またはドア等のガラス部分については、非常時の安全性を確保する観点から広告表示を認めていない。 (2002年2月号: 屋外広告物条例とラッピング広告電車)
|