ロッキード式モノレール

 小田急電鉄は1966年(昭41)4月から、小田原線向ヶ丘遊園駅と同社が経営する同名の遊園地の間、向ヶ丘遊園〜向ヶ丘遊園正門前間1.1kmで、来園者のアクセス交通手段として向ヶ丘遊園モノレール線を運行してきた。この区間には、戦前から「おとぎ列車」が運転されていたが、途中に交差道路が建設されることになったため、全線高架で運転できるモノレールが選ばれ、当時の地方鉄道法(現在は鉄道事業法)にのっとった正式な鉄道として出発したものである。ただし車両は路線開業よりも古く1962年(昭37)に製造されたもので、以後38年を経過し、いずれもかなりの老朽化が進んでいた。

 このような状況で、2000年2月に実施した定期検査において車両台車枠の一つに約30mmの亀裂が発見されたため、小田急電鉄は11月30日まで事業休止とし、全般にわたり詳細な調査を実施した。その結果、亀裂を生じた台車枠はほぼ寿命に達しており、他の部分も劣化が激しく、営業再開のためには3億8,000万円の費用と2年の期間が必要と判断された。一方、同線利用者は1998年度年間36万人にとどまり、営業損失は8,000万円を超えていた。

 このため、新たな設備投資をして事業を続けるのは困難と判断され、小田急電鉄は休止期間終了までに廃止届出をし、2001年12月1日に廃止することとした。

ロッキード式

 同モノレールは跨座式のなかでもロッキード式と呼ばれ、日本では唯一のものだった。その特徴は鉄レールを使うことにあり、走行桁の上部に走行用レールが1本、左右の側面に安定用レール各1本の計3本が取り付けられ、610mmの小径鋼製車輪を用いていた。これにより車内の床にタイヤハウスなどによる突起をなくしたことは、当時としては最先端の考えであり、東京モノレールなどアルヴェーグ式がまだ備えていなかったメリットだった。

 そもそもロッキード式は、日本ロッキード(株)がアメリカから技術輸入したもので、1962年(昭37)に川崎航空機岐阜工場に実験線が設置され、国内への導入を期待していたものだった。それをすばやく採用したのが小田急電鉄だったわけで、活躍してきた500系501+502の2両編成電車は、この試作車を購入したものだったのである。さすが航空機メーカーとして名を馳せるロッキード社製だけあって、車体は当時はまだ珍しかったアルミを用い、設計・製造技術にも航空機のそれが応用されている。

 日本で唯一の方式を採用して技術的にも貴重であり、子供たちにも親しまれてきた向ヶ丘遊園モノレールだが、路線長も短く用途も限られていたため、姿を消す。営業休止期間は廃止まで延長されており、つまり問題個所を補修することによるお別れ運転などもまず期待できないようだ。現在、道路の上空に特徴ある線路だけが、ひっそりと延びている。

(2001年2月号)


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:50 JST