耐震補強材の注目株 高強度炭素繊維シート

 1995年1月17日に発生した阪神大震災の惨状は、人々の脳裏にまだ生々しく残っている。ビルや道路の損壊や火災などで多数の犠牲者が出たうえ、都市の機能や生活基盤が失われ、長期にわたって深刻な影響をもたらした。鉄道もその被害を逃れることはできず、高架の桁の落下、擁壁の崩落、駅舎等の損壊、列車の脱線などのため、神戸を中心に一帯各線は不通となり、完全復旧には長い時間を要した。この震災では、新幹線をはじめ高架橋の床版が落下したり、地下鉄のトンネルが崩れたりしたことの衝撃が大きく、従来、地震に強いといわれていたコンクリート建造物の強度について再検討が求められるところとなった。

 それまでのコンクリート建造物の耐震性は、1923年に発生した関東大震災クラスの地震が目安とされてきたが、阪神大震災では地盤の構造などに応じて場所によっては経験のない大きな揺れが発生した。新築に対しては基準を厳しくし、既存のコンクリート建造物にも補修・補強が必要ということになった。床版やトンネル天井の落下は、激しい揺れでコンクリートの支柱が上部の重さに耐えられなくなって崩れたことが原因で、支柱の復旧にさいして周囲を鉄板で覆い隙間にモルタルを充填する補強策が施された。他の都市でも、鉄道の高架や高速道路の支柱などに同様の補強工事が施工されるようになった。

 このコンクリート構造物の補強策として、高強度炭素繊維を一方向に敷き並べて樹脂を含有させた「炭素繊維シート」が効果が高いと評判を得ている。

コンクリート建築物に巻くだけ

 炭素繊維は従来、宇宙・航空分野やスポーツ・レジャー用品などの素材であった。放送衛星のアンテナ、ゴルフクラブのシャフト、F1マシンのボディといったものが炭素繊維を用いている。これを土木建築分野へ応用するため、三菱化学産資と大林組が共同開発し1985年から施工を始めた。

 この炭素繊維シートがコンクリート構造物の補強材として注目されるのは、厚さ0.2〜0.3mmながら強度は鋼板の10倍、比重は鉄の1/5、錆が全く発生せず、紫外線による強度劣化がなく、耐薬品性にもすぐれている点にある。

 施工方法はどこでもおおむね同じで、(1)劣化した部分を削ぎ落とすためサンダーなどで下地処理を行なう、(2)エポキシ樹脂の「プライマー」を塗る、(3)必要に応じパテで凹凸を埋めて平滑にする、(4)下塗りとして別のエポキシ樹脂である「レジン」を塗布、(5)炭素繊維シートを貼り付ける、(6)再び「レジン」を塗布、(7)塗装やモルタルなどをつけて仕上げる―という工程になる。

 施工例は、橋脚・床版に限らず、梁・柱や煙突、トンネルの壁面など幅広い。難点は、材料が高価なことである。一般に補強部分が4〜6m以上になれば炭素繊維シートのほうが安価で、それ未満ならばモルタルや鋼板などによるほうがコストダウンになるとされている。

 高い橋脚に鋼板を巻く方法では、鋼板を吊り下げるクレーンが必要になり、作業は大がかりになる。また、クレーン操作のオペレーターの人件費など、炭素繊維シートを採用する場合より工事コストがかかってしまうことがある。炭素繊維シートの場合、そこまで大がかりな工事にはならない。

 補強した個所の重量を1平方mあたりで比較すると、鋼板の場合は1平方mあたり30〜40kgとなり施工部分が長大な場合、鋼板の重さで構造物自体が崩壊する恐れもある。炭素繊維シートの場合、エポキシ樹脂の塗布と仕上げ材を含めても1平方mあたり3kgと桁違いに軽く、構造物に対する負担も大幅に軽減される。

 さらにエポキシ樹脂類の材質・配合を変えることで、施工時期の気温、1日の寒暖差、迅速に工事を終わらせなければならない場面など、数々の施工条件に柔軟に対応できる強みがある。

 炭素繊維シートの鉄道への施工例は、鉄道事業者としては、京成・東急・営団・横浜新都市交通・札幌市・福岡市などが挙げられる。JRでも鉄道総研が補強材として検討し、山陽新幹線に採用したことがあった。

 ところが、炭素繊維シートは帯電性があり、架線に近い個所には使用できない。このためJR西日本では炭素繊維シートではなく、代わりに防弾チョッキなどの材料となるアラミド繊維を材料とするシートを採用する方向に向かっているようである。しかし、耐久性実験において、自然暴露の30〜50年に相当するといわれている1万時間の促進暴露試験のあと検証すると、炭素繊維は引張強度の劣化は見られないが、アラミド繊維の引張強度は炭素繊維の約2/3になったと報告されている。通電性を考慮する必要がない橋脚の桁部分には炭素繊維シート、線路を乗り越える高架橋などにはアラミド繊維シートと使い分ける方法もある。

年間約100万平方mの需要量

 日本に炭素繊維シートメーカーは4社あり、需要量は各社合計で年間約100万平方m、国内需要だけなら約60万平方mくらいで、研究も世界で最も進んでいる。それというのも、日本はアメリカに次いでコンクリート構造物が多いが、アメリカのように土地が広くスクラップ&ビルドが簡単にできる環境にはないからだ。土地が狭く、コンクリート構造物が多いうえ、地震災害も考慮に入れなければならない。そのため、日本ではコンクリート構造物の補強のための技術は、重要性・緊急性がきわめて高いとされている。

 ちなみに、首都高速道路小松川線の床版補強工事においては、約1km(60スパン)で25,000平方mの炭素繊維シートが用いられた。

(2003年4月号: 耐震補強材の注目株 高強度炭素繊維シート

 


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:55 JST