活性化を図る 佐久間レールパーク

 飯田線中部天竜駅構内において中部地方で活躍した車両を展示・保存する「佐久間レールパーク」は、1991年4月21日にオープン、以後、土日祝日や春休み・夏休み期間中に開園し、レールファンだけでなく、天竜川に沿う飯田線の旅情を味わう人たちも訪れる、観光の一つのポイントに成長した。現在、約4,000平方mの敷地に電気機関車2両、電車3両、気動車2両、客車6両、事業用車2両、0系新幹線の先頭部分が展示されている。このなかには鉄道史的にも貴重な車両が多い。

 そして今春から小さな子供も楽しめる「日本一のプラレール」と銘うったコーナーが展示館2階に設けられた。面積は約30畳、「日本一」の名にふさわしい巨大ジオラマである。

飯田線の活性化をめざして

 JR東海の在来線は、名古屋近郊区間など一部を除いて列車本数も少ないローカル線である。飯田線もその例にもれず、総延長195.7kmもの長大な路線であるが、沿線には過疎化が進む地域も多く、利用客は少ない。そこで、鉄道輸送の活性化のためには、地元とともに話題づくりをして外から乗客を呼び込むことが必要であるとの認識から、観光の目玉とするべく鉄道博物館の設立が検討された。

 というのも、1991年の佐久間レールパーク誕生までJR東海管内には、東京の交通博物館や大阪の交通科学博物館、京都の梅小路蒸気機関車館のような国鉄〜JRの車両を保存・展示する施設がなかった。一方、当時はバブル経済の名残があって屋台骨の東海道新幹線も好調に推移していた。日本経済としても、企業が文化的な事業を手がける余裕があった。

 中部天竜駅がレールパーク建設の地として選ばれたのは、中部天竜機関区の跡地が活用できることと、飯田線だけを担当する業務機関として1988年2月に飯田線営業所が発足し、1990年3月からは飯田支店に昇格したことから、独立した業務機関としてイベントの計画や列車の設定など、営業所独自で運営を行なうことができるようになったのが関連している。オープン当初のレールパークアクセス列車として、1987年から運転されている「トロッコファミリー号」に加えて、「ゲタ電」ことクモハ12形も活躍し大勢の乗客を中部天竜駅に運び、運転日にはカメラの放列が沿線をにぎわせた。現在は「ゲタ電」はなくなり「トロッコファミリー号」だけになったが、相変わらず人気は上々である。

 また、沿線の佐久間町・水窪町にとっても、佐久間ダム以外にこれといった観光名所がないことから、レールパークを貴重な観光資源と位置付けて、イベント等の開催に対して非常に協力的であるという。

 しかし、本社から独立した業務機関であったことが、資金と人材の不足につながり、のちに入場者の伸び悩みにも結びつく。

露天車両の飽和が悩みの種

 保存車両にとっては大敵である紫外線、雨水、寒暖の差などは屋内展示であれば防げるものであるが、レールパークの展示車両には屋根はなく、露天のままである。野ざらし状態ではどうしても車体の傷みは早く、展示にさいしてきれいに復元した車両も数年で展示に耐えられない姿になるため、整備費用は屋内展示より高くなる傾向にある。東京の青梅鉄道公園は「公園」としての位置付けからあえて屋根を設置していない。一方、レールパークは0系新幹線の脇に高さ約3mの「撮影台」があることから屋外展示のメリットを生かした車両撮影を考えたようだが、車両の保存を考えれば屋根付きが望ましい。

 現在、展示車両は3線のレールにびっしり入り、きちんとした形式写真は望めない。さらに取材当日、戦前を代表する高速列車で、京阪神間の急行として活躍し、晩年は飯田線で過ごした「流電」ことモハ52形の特徴的な先頭が、隣のクヤ165形教習車に接近していたのは惜しまれる。

当初の活況を取り戻すために

 オープン時の1991年度の開園月は9ヵ月間で、入場者数は6万5千人を越えた。次年度は11ヵ月間で約4万4千人、以後年々減少し、1996年からは毎月オープンとなっているが、リピーターが少ないことから年間総入場者数は3万人台にとどまっている。しかし、2002年7月の組織改正により、飯田支店が独立した組織から本社の東海鉄道事業部に組み込まれ、同時にレールパークも本社直属になり、ある程度の予算がつくようになった。

 これを契機に傷みの激しい車両のレストア、大規模なイベント「佐久間レールパークまつり」の開催など、利用客増に向けたテコ入れがなされた。プラレール広場はその一環で、ファン以外で集客ターゲットとなりうるファミリー層の取り込みをねらったものである。これによって、昨年の同時期に比べて入場者数は増えている。それまでは4人の駅社員の力でイベントを手がけていたから、手作り感覚の小規模な催しになりがちであった。

 そうした体制になった以上は、プラレールのレイアウトを設けたことで第2展示室に移動したものの、4人の駅社員では手が回らず雑然とした雰囲気になっている古い制服などの貴重な資料を整理し、新しいものと古いものの区別や説明文もきちんとよせて、より楽しめる施設にしてほしい。

 今年は飯田線が国鉄に移管して60周年に当たる。JR東海と佐久間レールパークは、レールファンはもとより、ファミリー層も楽しめるイベントを計画中とのことだ。

(2003年7月号: 活性化を図る 佐久間レールパーク

 


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:57 JST