鹿児島中央駅 †JR九州は2月25日、2004年春に予定する九州新幹線新八代〜西鹿児島間の開業にさいし、西鹿児島駅の駅名を「鹿児島中央」に改称すると発表した。駅名改称は、かねて市から要望されていたものであるが、実現するまでには紆余曲折があった。 西鹿児島の駅名は、1927年(昭2)に湯浦〜水俣間が開業して現鹿児島本線が全通したさいに、「武」から改称されて誕生した。当時の鹿児島市の玄関は鹿児島駅であったが、戦後の都市計画により次第に西鹿児島駅周辺が整備され、中心部の重心が移動した。1967年(昭42)には、全優等列車が西鹿児島駅始発・終着となった。これにともない、最初は「太陽国体」を控えた1971年に国鉄から市に改称への協力が要請され、市議会で検討されたが、名前においても代表駅の地位を奪われることになる鹿児島駅の問題などが浮上して、実現しなかった。 次に顕在化したのは1982年(昭57)で、西鹿児島駅周辺の団体から市議会に対して駅名改称が請願された。このとき、「鹿児島中央」の駅名が挙げられている。しかし、やはり鹿児島駅周辺地区や鹿児島本港の整備を要請する他団体から、これに対する反対意見も陳情される。議会は改称の請願を全会一致で採択したものの、このときも最終的な実現には結びつかなかった。 そして2001年、九州新幹線鹿児島ルートの開業時期が近づくにつれ、駅名改称の声が改めて市民レベルで発生し、「3,000人市民アンケート」や各団体の意向調査が行なわれる。2002年4月、市は各界代表者61人で構成する「西鹿児島駅駅名検討委員会」を設置して是非を議論した結果、6月の委員会で、西鹿児島駅の駅名を改称することと改称時期は九州新幹線開業時とすると意見が集約された。これを受けて市は、7月から各界代表者や市民106人からなる「西鹿児島駅駅名選定委員会」を立ち上げ、新駅名について公募も行なった結果、9月に「鹿児島中央」と決めた。 同年11月、改称にともなう費用負担の問題もあり、経済団体を中心に「西鹿児島駅駅名改称推進協議会」が設立され、12月には同協議会からJR九州に対して「駅名改称要望書」を提出している。これを経て今年2月、JR九州による駅名改称の正式発表に至り、3月5日に同協議会とJR九州は駅名改称に関する協定を締結している。 この駅名改称については、費用を全額地元が負担することになり、駅名改称推進協議会は商工会議所を事務局として発足と同時に募金活動を開始した。費用が発生するおもなものとして、運賃表・駅名標の書き替え、列車行先標の変更、自動券売機・車内補充券の変更、システム変更などがあげられ、自治体側・鉄道側、双方の主要駅であるため変更すべきものが多く、6,600万円が必要になる。さらに協議会の事務経費や新聞等広告費、募金協力者の顕彰事業などの費用も加わる。これに対して募金額は2月末で1億1,200万円を超えているから、期待の大きさがうかがえる。 「西鹿児島」と聞くと、市の中心部からはずれた場所がイメージされやすく、逆に中央駅となれば、観光客やビジネス客など、ことに県外客に対するわかりやすさは格段に向上する。また、新幹線開業時に駅名改称することで二重のPR効果が得られるということも、重要な要素のようである。 (2003年5月号)
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