女性専用車

 JR西日本は7月1日から、大阪環状線と学研都市線(片町線)の朝ラッシュ時に女性専用車を設定した。当面は3ヵ月間の試行とし、好評であれば以後も継続し、他線区への拡大も考えられるという。設置される列車は平日の始発から9時までの大阪環状線のオレンジ色の電車122本と、学研都市線京橋方面ゆき54本の京橋までで、環状線については他線区との直通列車は含まれない。環状線では内回りの4両目、外回りの5両目、学研都市線は最後部(木津方)1両を専用車とし、車両のドア横にステッカーを貼り付け、ホームにも表示している。

 女性専用車は、2000年末の忘年会時期に京王電鉄がその木・金曜日のみの試行として、深夜、新宿発下りの一部優等列車の最後部で実施したのが最近の流れのスタートである。その背景には、混雑した車内での痴漢行為があとを絶たず、近年は取締りも強化されてきたものの苦情は多く、一方では冤罪のケースも生じるなど、重大な社会問題となっていることがある。

 京王では、試行にともないアンケートをとったところ、痴漢そのものや不安から逃れられるなどとして女性の52%、間違われてトラブルになるケースを防げるなどとして男性の54%が、女性専用車の連結に対して賛意を示したという。この結果を受けて京王は、2001年3月から本格実施に移し、平日23時以降新宿発の優等列車のすべてを女性専用車とした。

 その後、JR東日本が東京圏でも混雑が著しい埼京線に7月に導入、平日23時以降の新宿発と0時以降の池袋発下り電車について最後部を専用車として1年間試行し、これも本年7月以後の継続を決めた。

 ところで女性専用車の存在はこれが最初ではなく、過去にも存在した。古くは1911年(明44)末、国有化まもない中央線中野〜昌平橋間の電車に連結されたという。沿線女学校の学生を男子学生から遠ざけるための措置で、朝夕の運転だったらしい。  次いで記録されるのは1947年(昭22)5月で、終戦後の混乱が続き女性や子供の乗車はほとんど困難だった中央線に「婦人子供専用車」が登場し、9月からは京浜東北線にも連結された。

 ちなみにその後、中央線と京浜東北線には「老幼専用車」も生まれた。終戦とともに進駐が始まった連合軍関係者の専用車として1952年の対日講和条約発効まで接収されていた2等車を中心に、やはり混雑からの救済を目的に1957年(昭32)6月に格下げされて誕生した。ただし、1958年11月に中央線、1961年11月には京浜東北線のそれも短命で廃止された。婦人子供専用車も京浜東北線では先に姿を消し(国鉄の公式記録では時期は不明)、朝の上り中央線の婦人子供専用車のみが残る形となった。

 中央線では1970年代まで残された。当時のラッシュは乗車率が最高300%を越えることもあるほどで、女性専用車は有効だった。一方、中央線だけに存在する理由は明確ではなく、一般車両に対して混雑率のバランスが崩れていたのも事実のようで、批判の声も国鉄に寄せられていたという。そして、1973年(昭48)9月の敬老の日、中央線電車の1・4・10号車に「シルバーシート」が設置されたことをもって、婦人子供専用車は姿を消した。

 さて、現在の女性専用車は東京では深夜が対象、大阪では朝ラッシュ時となっている。これは、東京の深夜輸送がラッシュ時なみの混雑を呈する一方、関西圏では十分に余裕があることが理由にあるようだ。

(2002年9月号)


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:58 JST