信濃川発電所

 JR東日本は、首都圏主要路線の電力をまかなうために、新潟県中里村から小千谷市にかけての信濃川流域に水力発電所、神奈川県川崎市の臨海部に火力発電所を有している。現在の鉄道会社で、自営発電所を有するのはJR東日本だけである。信濃川流域のJR発電所は千手・小千谷・新小千谷の3ヵ所があり総称して信濃川発電所と呼ばれ、同社管内で使用する総電力量の約25%をまかなう。川崎火力発電所の発電量を合わせると約56%が自営電力となる。

 国鉄(当時)信濃川発電所は、1919年(大8)に国策の石炭節約をきっかけに計画され、まず1939年(昭14)に千手発電所が操業を始めた。その後、国の信濃川水力再開発策として1951年にやや下流に小千谷発電所、JRが発足したのちの1990年に、隣接して新小千谷発電所が設置されている。発電能力は千手発電所が12万kW、小千谷発電所が12.3万kW、新小千谷発電所が20.6万kW。

 各発電所に送られる水は、飯山線越後田沢付近(中里村)の宮中取水ダム取水口から取り込まれる。約180mの堰堤に11ヵ所の取水口があり、取水量を調整する。千手発電所へは水路トンネル経由で十日町付近の浅河原調整池に運ばれ、その下の発電所に送られる。調整池を設けているのは、朝夕ラッシュ時は使用電力量が増加するので、見合った発電量を確保するためである。このため日中は満水状態でも、朝晩は貯水量が激減する。千手発電所で発電タービンを回して放流された水はさらに水路で小千谷の山本調整池に運ばれ、ここを経て小千谷発電所のタービンを稼働させたのち、再び信濃川に放水される。一方、最新の新小千谷発電所へは、新宮中取水口から取り込まれ、トンネルや、谷を渡る水路橋を経て新山本調整池に運ばれる。水路トンネルの延長は、合計で50kmを越す。

 さて、各発電所で作られた電力は、約400kmにも及ぶ送電線を経由して首都圏に運ばれる。このように送電系も自社内で保有しているのも、大きな特徴である。千手を起点として延びるルートは鉄道省時代から基本的に変わらず、六日町から谷川岳を越えて埼玉県岡部、毛呂山と進み、中央線東小金井付近の武蔵境交流変電所に至る。その先は、三鷹、調布を経て多摩川を渡り、終点は新鶴見交流変電所となっている。

 ところで、この信濃川発電所は、2004年10月23日に発生した新潟県中越地震で被災し、上越新幹線など被災各線でひとまず列車運行が再開された現在も信濃川発電所は停止したままになっている。JR東日本では川崎発電所の能力をアップさせているほか、東京電力から購入して首都圏の需要をまかなっている。

 被害の状況は、まず浅河原調整池の堰堤に亀裂が発見されたため、ただちに水を抜いており、このため千手・小千谷発電所ともに発電できなくなった。また、山本調整池は斜面の敷石が滑り落ち、新山本調整池も外周道路がひび割れしたため、これらも全体の詳細調査が必要になり、相次いで水抜きした。発電所本体でも千手・新小千谷両発電所で屋外機器が損傷、小千谷発電所では屋内機器の損傷と放水路護岸の損傷が生じ、ほかに送電線鉄塔基礎付近の地滑りなどが起きている。

 概要は以上だが、調整池・水路トンネル・送電設備などは詳細調査が必要で、外部専門家などを交えた検討会を設けて調査・検査を行なっている。また、現地は積雪期に入っているため、調整池などの完全な調査が行なえるのは雪解け後となるため、具体的な復旧見込みはまだ立っていない。

(2005年3月号)

 


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:56:59 JST