39周年を迎えた 東京モノレールの巻き返し

 東京オリンピックが行なわれた1964年(昭39)にできた鉄道として、東海道新幹線が有名である。同じ年、東京モノレールも五輪観戦客輸送の一環として生まれた。しかも、開業日は9月17日と、10月1日の東海道新幹線より少し早い。今年、開業39周年を迎えた同社は、「昭和39年開業、39歳」にかけた「39(サンキュー)キャンペーン」を10月31日まで展開している。

 キャンペーンの中心になるのは、開業当時の塗色に復元した記念イベント列車「ヒストリートレイン」「フューチャートレイン」である。

懐かしのカラーが東京湾岸を走る

 開業当初、東京モノレールの駅は両端のモノレール浜松町駅と羽田空港駅のみで、東京湾岸の沿線はそれほど開発されておらず、海上に線路が敷かれた場所もあった。このことから開業時の車両は、海上を走るのにふさわしく先頭を流線型に、塗装はクリーム地にブルー系の濃淡2色を下部に配したものであった。これが1969年(昭44)5月の500形導入を機に、赤地に白のラインに変わった。今では当時の車両は残っておらず、1989年誕生の1000形が6両編成16本96両、1997年誕生の2000形が6両編成4本24両の陣容。「ヒストリートレイン」に充当されたのは、1000形1019〜1024の1編成である。カラーの復元とともに、運転席の窓下と側扉脇に記念ロゴマークのステッカーが貼られた。

 また、車内の広告枠を使って歴代車両の走行シーンとその当時の社会背景を30枚のポスターで紹介している。写真はすべて同社が所有していたもので、キャンペーンのために倉庫から探し出した。ただ、撮影年月日まで控えていなかったので、ポスター化にさいしては開業時から勤めている社員も交えて時代考証をしたのだという。先述の海上を高架で渡っていた場所は流通センター駅付近で現在は京浜運河を残して高架の両側とも埋め立てられている。この写真がなければ以前は海を渡っていたなど、教えられても想像できない。

 ヒストリートレインは、開業記念日を境に、車体カラーはそのままに、車内ポスターを一般公募した「子供たちの描く未来のモノレール」がテーマの絵画と「モノレールのある風景」の写真に差し替え、「フューチャートレイン」として運行する。

 このほか、モノレール浜松町駅の乗車ホームに、車両の模型やジオラマ、写真・パネルで39年のあらましを紹介するPRイベントブースを設置し、主要駅では記念乗車券・グッズも販売している。また、9月13〜15日にはモノレール車両基地見学会を開催、今回、試乗列車を敷地内で運転する。

 この時期にこうしたキャンペーンをはるのは、強力なライバルの出現で乗客が減ってきており、モノレールに目を向けてもらうための一環である。

空港アクセスとしてさらに注目を

 世界で最初の実用的な跨座式モノレールとして開業した東京モノレールは、当初、13.1kmの営業キロで始めた。その後、沿線の開発にともなって大井競馬場前、羽田整備場、新平和島(現流通センター)、昭和島の中間駅が開業した。平成に入ってからは天王洲アイルが開業し、1993年5月には羽田空港の沖合展開、新ターミナルビルオープンで、路線を新ターミナルビル直下にまで延伸し、営業キロ16.9kmとなり、天空橋・新整備場・羽田空港を開業した。(それまでの終着駅だった羽田と旧線は廃止)

 航空機利用が一般的になるに従い、羽田空港の利用者も増加し、東京モノレールの乗客も、国際線が中華航空以外すべて成田に移転した1978年をのぞいて、右肩上がりに増えていった。また、沿線開発によって途中駅の乗降客数も伸びていった。

 しかし、羽田空港アクセスを一手に握り爐錣世の春瓩鳬隹里垢訃況は、1998年11月の京浜急行羽田空港乗り入れで終わる。モノレールを利用した空港アクセス客は、ピークの1997年には約2,900万人であったが、翌年から下がり続け、2001年は約2,000万人強まで減った。加えて八王子や西船橋、大宮など郊外地区からのリムジンバス路線も増えている。

 東京モノレールも手をこまぬいているだけでなく、巻き返しを図るべく浜松町〜羽田空港間を所要22分、朝約3.5分間隔、日中4〜4.5分間隔にし、1面2線の羽田空港では片側は必ず列車がいるように、2面1線の浜松町では列車が出てもすぐ入線して、乗客をホームで待たせない態勢をつくった。さらに今年7月19日からは、2001年12月改正ダイヤから行なった羽田発の終列車のノンストップ運転を天王洲アイル停車とし、土休日の22〜23時台の上り列車5本について、平日の終列車と同じく途中停車駅を天王洲アイルに絞った快速運転を実施した。

 また、JR浜松町駅からの乗り継ぎが乗客の約8割を占める東京モノレールの経営権が、2002年2月にJR東日本に移り、JR東日本グループに入ったことで、一体的な経営が図られるようになった。JRの「Suica」を導入し、京浜東北線の快速が浜松町に停車するようになったことは、そうした施策の一つだが、7月19日、「39キャンペーン」の開始と同じ日に、両社の浜松町駅改札口を結ぶ新しい連絡通路が完成した。

 それまでは両駅ビルを結んでいるフロアが2階にあったため、階段を下りて再び上がるという、バリアフリーを推進しようという時代にふさわしからぬ構造であった。新連絡通路はJR改札口とモノレール改札口がほぼ同じ高さにあることに着目して、平面の通路を渡した。駅構造の関係から十分なスペースを確保できないため、連絡口はJRからモノレールへの一方通行で、モノレールからJR方面へは従来通り階段を使うのは惜しまれるが、今年12月にはこの階段通路にもエスカレーターが2基設置されることとなっており、乗車と降車の動線が完全に分離された。

 39キャンペーンで注目が集まり、浜松町駅の新連絡通路を渡った乗客が、「モノレールは便利になった、次も利用したい」と感じれば、この施策は大成功である。

(2003年10月号: 39周年を迎えた 東京モノレールの巻き返し)

 


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:57:06 JST