忘れられた? 列車電話

 列車電話は1990年代に急速に普及したが、新幹線の場合は開業時から用意され、しかも発信ばかりでなく、外部から電話をかけて、列車に乗っている相手を電話口に呼び出してもらうこともできた。この新幹線の公衆電話サービスは、じつはJRの通信インフラの上でNTTコミュニケーションズが担当(1999年7月から)してきたのであるが、外部から新幹線車内の乗客宛ての電話を取り次ぐ「列車着信通話」サービスについては、本年6月末限りで取り扱いをやめている。言うまでもなく携帯電話の普及が理由である。

 新幹線からの発信は1994年がピークで年間約6万件であったが、最近は約6,800件になっている。また、新幹線側の着信は1999年に年間約19,000件であったものが、2003年には約3,000件となり、さらに廃止直前の時点では1日平均わずか3件にまで減少していたという。

 新幹線車内からの発信は、これまでどおりテレホンカードを使用して普通に電話をかければよい。しかし、「列車着信通話」の場合は全国共通の「107」にかけてオペレーターを呼び出し、通話相手の住所と名前を伝えて、いったん電話をきる。そののち、NTT側が列車側とつないで車内の取扱い者(車内販売業者が受託していた)に伝え、その取扱い者が車内放送で通話相手を呼び出し、通話相手が最寄りの電話口に出たら発信者側とつなぐという手順を踏んでいた。

 また、車内の電話取扱者は着信をつねに受けられる態勢でなければならず、車内販売などで出払ってしまっては、このサービスは成立しない。このため、取扱い列車は食堂車やビュフェ・カフェテリア・サービスコーナーなど、係員が常駐する場所のある列車に限定された。したがって着信取次ぎについては、山形・秋田・長野、そして九州新幹線(日本テレコムに委託)は最初からサービス対象外であった。さらに2003年10月以降、東海道・山陽新幹線における取扱い列車から「500系のぞみ」が除外され、残ったのは700系の「のぞみ」「ひかり」(レールスターを含む)と、上越新幹線E1系の「Maxとき」のみになってしまい、きわめて限定的なサービスとなっていたのである。こうして、以前は車中の人と連絡をとる最良の手段であったが、急速に役割を失っていった。

 列車公衆電話は、国鉄では1960年8月に東海道本線のビジネス特急「こだま」で提供を始めたのが最初である。(近鉄が1957年に開始) 1964年開業の東海道新幹線へと引き継がれたが、当時は列車側からの発信も交換台を呼び出し(送受話器を外すと交換台とつながった)、相手の電話番号を伝える非自動方式で、車内のグレーの電話機にはダイヤルがなかった。それが東北・上越新幹線の時代にはダイヤル方式の自動発信となり、百円硬貨が使える黄色の電話機に切り換えられ、東海道・山陽新幹線もこれに交換された。そして現在の緑色のカード式プッシュホンに発展する。

 また、後発の東北・上越新幹線は全国一律に通話できたが、先発の東海道・山陽新幹線は地上設備の関係で長らく沿線13都府県のみが対象であった。これが解消したのは、1989年3月、列車無線の方式が以前の空間波方式から、東北・上越新幹線と同じLCX(漏洩同軸ケーブル)方式に切り替えられ、業務関係も含め通信回線数の向上が図られたさいである。これにより、車内に設置される電話の数が飛躍的に(0系の2台から100系の19台に)拡大した。しかし、それも今回、車内着信サービスの終了に合わせる形で、東海道・山陽新幹線の列車内の公衆電話機は順次半減されている。以前は2両に1台であったが、新体制は4両に1台程度である。

 なお、在来線列車の公衆電話は携帯電話の通信網を使用するもので、こちらはNTTドコモが引き受けている。

(2004年12月号)

 


Last-modified: Sat, 24 Oct 2009 20:57:10 JST